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純米蔵宣言(平成)

純米蔵宣言(平成)

日本酒の未来をみつめて

福光屋は、2001年度の酒造りから全てを純米造りに切り替えました。
純米酒、純米吟醸、純米大吟醸だけを造る蔵になりました。

純米蔵 福光屋

以下、2001年9月発表文

米不足が生んだアルコール添加酒

第二次世界大戦後、何もかもが欠乏した時代。食する米も無い時代ですから、当然、酒を造る米も極端に不足していました。戦時体制中、酒税確保の国の立場から、少量の米から多くの酒を造る方法がないかが研究され、仕込んだ醪に醸造用アルコール(※1)を加えてつくる、アルコール添加法(※2)が行われるようになりました。特に醸造用アルコールを大量に添加し、糖類などで味をととのえる極端な増量法、いわゆる「三倍増醸法」(※3)も、戦後さかんに行われました。
米不足の時代に苦肉の策として考え出されたこの「アルコール添加酒」は、現在も低コストで造ることができる酒として、ほとんどの酒蔵で造り続けられています。

※1)醸造用アルコール穀物類から造られる添加のためのアルコール。
※2)アルコールを添加する製造法は、戦時中(昭和17年)に酒税確保のための国の政策として導入されました。
※3)三倍増醸法・醸造用アルコールを大量に添加し、糖類などれ味をととのえる増量製造法(昭和21年導入)

米の国、米の酒

良質の米が豊富に手に入るようになった現在、さすがに三倍増醸法とはほとんどの酒蔵が決別しましたが、それでもまだ日本酒の生産量の約15%は三倍増醸です。
一方、造りの基本を大切にするいくつかの酒蔵はアルコール添加量に制限のある「本醸造」と呼ばれる造りに切り替えました(同約17%)。しかし、日本酒の本来の姿が問われている今でも、日本酒の全生産量の約9割がアルコール添加酒(※4)です。
もはや日本の戦後は終わり、米の需給事情も全く逆転している中で、日本酒はまだ戦後を生きているような状況なのです。

長い日本酒の歴史の中で戦前までは純米造りの歴史です。
福光屋は、その歴史を取り戻します。本来の醗酵の力を授かったきめ細かな美味しさと体になじむ軽い酔い心地を持った日本酒を造りたい。「米の国の米の酒」として大いなる可能性を秘めた「純米酒」だけを醸す。まさに温故知新の本当の日本酒文化である純米酒の時代へ、純米酒の酒蔵として福光屋は踏み出します(※5)。

※4)アルコール添加酒とは醸造用アルコールを添加したお酒全般を指す。添加量が制限されている本醸造も含む。
※5)現在、万石単位の酒蔵で全ての造りを純米酒にしているのは福光屋だけです。(2001醸造年度より実施)

旨くて軽い、真の純米酒

純米酒は一般に、コクがあるが重い、と思われがちです。
しかし、原料米を充分に吟味し、酒造りの基本を踏まえ、丹念に醸すことで、さらりとしながらも旨味がある「旨くて軽い」酒を造ることができるのです。

福光屋が究極の目標とする「旨くて軽い」酒は、純米造りが実現させる味わいです。
その軽味(かろみ)ときめ細かい舌ざわりは、アルコール添加酒では決して実現できない酒質です。さらに様々な原料米の持つ個性ある味わいを、また様々な酵母が醸す深い香りを、軽やかな酔い心地で楽しんでいただけます。
アルコール添加というごまかしがない造りだからこそ、米の旨味を存分に引き出すことができるのです。

酒は自然が醸すもの

酒は米と水という自然の恵みに、微生物たちの働きによる自然の力が加わって生まれます。旨い酒を造るには、この自然の力を存分に引き出さなければなりません。

酒造りにおける人の役割は、自然の摂理を最大限に活かすための環境を整えること。自然に敬意をはらい、自然の力を引き出すための知恵と工夫を授かる場として、酒蔵は存在する。これが福光屋の自然観、酒蔵観です。

純米酒は国際酒

自国の酒を語ることは、時としてその国の文化そのものを語ることにもなります。
国際社会において、誇りをもって自国の酒の歴史や品質を紹介できることはとても幸せです。国際的な価値基準で、醸造酒とは純米酒のことをいいます。
いま、ポリシーをもった女性たちがさまざまな市場を動かしています。日本酒市場にも、ものの本質を見極め、楽しめる人たちが新しい価値観をつくりはじめています。
「日本のお酒を美味しく楽しみたい」。このご要望にお応えするためにも、福光屋は純米酒だけを造ります。

福光屋「純米蔵」へのあゆみ

1960年契約栽培開始

1985年全商品糖類無添加(※6)

1986年全商品を特定名称酒にする 
○生産高万石単位の蔵では唯一

1989年裏ラベル導入 
○業界初

2001年全ての造りを純米化とする 
○生産高万石単位の蔵では唯一

※6)福光屋は1985年に全商品糖類無添加、1986年に全商品本醸造以上の品質にしました。いずれも万石単位の酒蔵で全国初の試みでした。

以上、2001年9月発表文