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契約栽培米

契約栽培米

福光屋では生産農家と契約栽培することによって、高品質の酒造好適米を安定確保しています。これは昭和35年に兵庫県中町と「山田錦」の栽培契約を結んだのが最初で、現在では長野県木島平と「金紋錦」、兵庫県出石と「フクノハナ」、富山県福光と「五百万石」をそれぞれ契約栽培しています。酒造好適米は栽培地が限られ、育成が難しいだけでなく、収穫量も少ないのが現状です。契約栽培の利点は、安定供給のみならず、農家と土づくりから共に研究して、より品質のいい酒米を収穫できることにあります。また、毎年の気候状況によって変化する米の性質も事前に予測、把握できたり、酒米の個性を見極めることによって、独自の酒造好適米ともいえるような特性改善も可能です。そして何よりもつくり手の顔が見えるということが、お互いの励みとなり意欲となり、最も大きな利点であるといえます。

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山田錦

山田錦

吟醸系の高級酒に欠かせない山田錦

酒造好適米(酒米)の最高品種と称えられる山田錦は、1936(昭和11)年に兵庫県で誕生しました。根から穂先までの長さが120㎝ほどもあり、酒米のなかでは粒が大きく1000粒あたりの重さは27.5g(コシヒカリは22.0g)もある酒米です。大粒ゆえに米をよく磨く高精白に耐えることができ、かつ米の中心部の心白が大きく、旨味となるデンプン質を多く含むのが特長。福光屋でも精米歩合の低い吟醸系の高級酒に用いることが多く、品のよい豊かな香り、風格をそなえた旨味、おおらかなふくらみを感じさせる非常に優れた品種です。現在は全国各地でつくられる山田錦ですが、兵庫県産は全国収量の約7割を占め、とりわけ兵庫県中南部エリアの山田錦は毎年の鑑評会で優秀な成績を収める産地です。福光屋が使う山田錦は、このエリアに位置する兵庫県多可郡多可町中区坂本で栽培された契約栽培米です。

山田錦が泣いた、日本酒受難の時代に

福光屋が兵庫県多可町中区坂本の栽培農家、十数軒が収穫した山田錦の全量を買い上げる契約栽培を始めたのは1960(昭和35)年のこと。高度経済成長期が幕を開け、日本酒の需要が飛躍的に伸びて供給が追い付かない、まさに「造れば造っただけ売れた」時代。醸造アルコールや糖類などを添加して三倍に増量させた三増酒が市場を席巻する、量産主義真っただ中でのことでした。福光屋と契約に至る前の昭和30年代前半は、坂本の農家が辛酸をなめた時期でもありました。酒の販売価格は全国一律で、あえて値段の高い米を使う蔵元はほとんど無く、山田錦の最優良産地とされる特A地区から離れていることを理由に正当に評価されない現状に直面していました。そこで坂本の農家の人々は、自分たちがつくった山田錦を正しく認めてくれる全国の酒蔵を訪ね歩き、辿り着いた酒蔵が福光屋だったのです。
この頃の福光屋は、生産石高1万石を突破し、小売店との取引も急増する時代。お酒を買いに来られた酒販店に希望の量をお渡しできないほどの需要過多にありました。量産体制下でありながらこの先の日本酒の在り方を模索し、上質の酒米を全国に求め「もっと良い酒を造りたい」という福光屋と、品質ではどこにも負けない山田錦をつくっているという坂本地区の栽培農家の強い思いが一致し、最初の契約に至ったのです。

村米制度のよいところを受け継いで

戦後、日本の米は長らく食糧管理法(食管法)によって厳しく管理されてきました。検査、集荷、販売は全て食糧庁(当時)の一括管理下にあり、生産者である農家と需要家の酒蔵が直接取引きすることは厳しく禁じられ、生産者→農協→経済連→酒屋の流れは不可侵の領域でした。坂本との取引きにもこの制度は大きな壁となりましたが、契約当時、山田錦が過剰にあったことが幸いし、関係者の好意と大変な努力でルールに則りながら、坂本地区の山田錦の全てが福光屋へ納品される例外が認められたのです。これは、灘の酒蔵と播州の農家との間で、明治26年から戦前まで続き(その一部は今も継続)、米の品質改善に大きく貢献したといわれる「村米制度」と同じ発想によるものです。

兵庫県多可町中区坂本の農家、十数軒から始まった福光屋の契約栽培

兵庫県多可町中区は、山田錦発祥の地。水量豊かな盆地で保肥力の高い粘土質の土壌を持ちます。1960(昭和35)年、中区坂本の限られた生産農家から始まった契約栽培は、まずは土づくりから取り組みました。毎年、福光屋の社長や担当者が、田植えや刈り取り時期はもちろん、毎月のように現地に通い、一つ一つ学び合って福光屋の酒造りに最適な山田錦へと改良を重ねていきました。山田錦の売れない時代、全国に赴いて自分たちの米の販路を探すほど情熱的な生産農家たちの意欲、勤勉さに福光屋も刺激を受け、互いの切磋琢磨によって米質の向上や収量の安定化、それによる酒の味わいも格段によくなったのはまぎれもない事実です。
その後、1980年代の空前の吟醸酒ブームよって状況は一転。山田錦の超不足、価格の高騰となり、福光屋は各産地から集まる山田錦の品質のばらつきに憂慮したことをきっかけに、山田錦の全量契約栽培米化を中区全域で目指します。1988(昭和63)年に坂本を含む中区の農家との契約栽培が実現。さらに、坂本の全農家を含む多くの中区の農家によって2004(平成16)年にはその全量を農薬50%減、化学肥料50%減、有機質肥料50%以上使用という国のガイドラインを遵守した特別栽培化も叶いました。また、さらにその一部が2006年(平成18年)に全量有機質肥料、無農薬栽培を開始し、翌々年の2008(平成20)年に有機JAS認定を受けました。

親子二代にわたる、深く長いお付き合い

農業と日本酒醸造の未来を見据え、米づくりの質を次々に高めていく努力と熱意は、ありがたいことに農家の二代目にまで受け継がれて今に至ります。最初に契約栽培を始めた当時の坂本の農家の方々は、現在80~90歳。平成に入ってからも、地区の農家の皆さんが揃って金沢・福光屋にお越しくださるなど、お顔とお名前が一致する親密なよいお付き合いが続いています。20年来、坂本や中区に通い続ける福光屋の担当者は、「酒蔵に届く米袋に書かれたお名前を見るだけで、すぐにお顔やお話しぶりが思い浮かびます。酒造りの出発点でもある酒米を、心から信頼できるのは酒蔵の宝。酒造りにおいて、とても大切なことだと思います。“わしら家族やから”と言われて、冥利に尽きると同時に責任を感じます」と、いいます。いわば、一子相伝の福光屋の酒米づくり。福光屋の日本酒は、このような生産者の方々の愛情と熱意によって成り立っています。

金紋錦

金紋錦

熟成酒のコク、豊かな風味は、金紋錦の賜物

現在100種を超えるといわれる酒造好適米(酒米)のなかで、きわめて稀少な金紋錦は1964(昭和39)年、長野県で誕生しました。標高500メートル、四方を高い山々に囲まれた長野県北部の下高井郡木島平村の生産農家約20軒が栽培する、門外不出の酒米であることから「幻の酒米」とよばれてきました。酒米の優良品種である山田錦とたかね錦の交配品種である金紋錦。父に当たる山田錦と親子関係にあることから非常に相性がよく、福光屋は金紋錦と山田錦の組み合わせによる絶妙な風味、豊かな旨味を非常に大切にしてきました。1973(昭和48)年以来、主に「黒帯」の掛米(醪の仕込み米)に不可欠な、唯一無二の酒米として重用してきたのです。

300俵から始まって、契約栽培を経て3000俵へ。

当時、唯一の栽培地であった木島平村の金紋錦は、隣接する新潟県の有力蔵元や長野県内の酒蔵に主に納められていました。他品種にはみられない豊かなコクと風味をもつ反面、精米の難しさゆえに、取引きの多かった蔵元が他の酒米に切り替えたことが大きな打撃となり、次いで長野県内の酒蔵からも徐々に需要が減ったことで農家の生産意欲も衰え、栽培停止の危機に直面したのは1980年代後半のこと。1973(昭和48)年から金紋錦を使い続けていた福光屋は、この連絡を受けて大変驚くと同時に基幹ブランドである黒帯の存続にも影響する重大事態となりました。全量を福光屋が買い取ることを条件に栽培継続を願い出て、1988(昭和63)年、契約栽培化が実現しました。栽培難と需要減少により収量が著しく落ち込み、300俵(1800㎏)から始まった取引き。その後、福光屋の担当者も足しげく村に通い、生産農家とともに栽培技術と品質向上に地道に取り組んだことで、ピーク時には10倍の3000俵にまで取引量を拡大しました。千粒あたりの重さも年々増えて山田錦並みの粒の大きさを実現するほどになりました。将来に不安を抱きながら細々とつくられていた頃の金紋錦と比べて品質は大きく向上し、2005(平成17)年に農薬使用半減や全量有機質肥料使用を掲げた特別栽培米化に踏み切ります。生産農家の高い志によって、元々減農薬栽培で行われていたところをさらに低減する苦労は並大抵ではなく、木島平村の生産農家の強い意思と情熱によって苦難の末に達成されました。さらに、2009(平成21)年からはJAS有機栽培にも着手。美しいブナの原生林や恵まれた大地を守る環境保全型農業を目指し、時代が求める新しい農業の在り方を模索した米づくりは、福光屋の酒造りの姿勢とも重なっています。

フクノハナ

フクノハナ

レギュラー酒、醗酵食品に欠かすことのできないフクノハナ

酒造好適米(酒米)のフクノハナを日本で唯一生産する、兵庫県豊岡市出石町。江戸時代に五万八千石の城下町であった出石町は、城郭や家老屋敷、寺院群をもつ歴史のある町です。三方を山に囲まれた肥沃な農地と出石川の清流に恵まれた産地は、近年、全国で唯一コウノトリが飛来する町として、環境創造型農業の推進が盛んです。フクノハナは、1966(昭和41)年に登録され、全国各地でつくられた酒米で、出石では1973(昭和48)年から栽培が始まりました。コクのあるふくよかな味わいとおだやかな香りが特長の優良種ですが、精米時に割れやすいこと、蒸し米が柔らかくなりすぎて麹米にしにくいことが難点でもありました。福光屋はこの難点を含めて特性や味わいをよく理解し、フクノハナのための独自の製麹法により、質の高い麹米を造ってレギュラー酒を中心に大切に用いていました。現在、福光屋ではフクノハナ100%の純米酒「コウノトリの贈り物」をはじめ、定番酒や味醂、塩糀などの調味料、糀甘酒にもフクノハナを用い、良質な米の味わいと安定感に信頼をよせています。

進歩的な生産農家との契約栽培

元々、栽培量の少ないフクノハナを継続的に確保するには契約栽培以外に方法は無いとの見立てから1988(昭和63)年、地場の農業の存続をかけて熱心に取組みたいと名乗りのあった出石町との契約が成立し、以後この町でつくられるフクノハナの年間5000俵が福光屋へ納められています。追って、2004(平成16)年に化学肥料、農薬ともに50%削減した特別栽培に全面移行し、その中の一部の圃場が2006(平成18)年、全量有機質肥料、無農薬栽培を開始。翌々年の2008(平成20)年に有機JAS認定を取得しています。フクノハナをより自然な環境で栽培することを目指した結果、国の特別天然記念物でもあるコウノトリが野生復帰できる環境の再構築を実現。田んぼのあぜ道ではコウノトリが餌である虫をついばむ姿が日常の風景となっています。健やかな自然と農業、人々の暮らしとの共存を目指す改革を推め、生産農家が自発的に取り組んだ独自の農業がこの地に実を結んでいます。