【連載】壽蔵・酒造りのエレメント ―時― | こめから.jp | お米のチカラで豊かに、上質に。

酒蔵だより

SAKAGURA

2022.6.24.

【連載】壽蔵・酒造りのエレメント ―時―

もっとも適正な環境で数年、数十年かけて貯蔵し、唯一無二の味わいに育て上げたお酒を日本酒の長期熟成酒といいます。福光屋の長期熟成酒の歴史は約60年。熟成のための膨大なノウハウを蓄積し、貯蔵専用の蔵を構え、五年、三十年、五十年を経たお酒を発売する傍らで、代々の杜氏が仕込んだ日本酒たちは静かに時の恵みを宿してきました。
一方で、搾りたての鮮烈さを一刻も早く味わうことにも実は時が関わっています。時間の長短をいかに生かし、色艶、香り、口当たり、味わい、余韻といったお酒の力にしていくか。お酒の個性となる大切な素材でもある時間。平等に与えられ、不可逆であるからこそ冒険ができ、面白さが新たな価値となり得るのです。

52年の時を刻んだ長期熟成酒「百々登勢 1970」。醸造アルコールを一切使用しない当時としては非常に珍しい純米造りで、酒米も石川県産の五百万石を使用。芳醇な香りが漂ってくるかのような黄金に輝く液体。

熟成期間52年。半世紀もの「時」の要素が加わったお酒という財産

福光屋が長期熟成酒の研究を始めたのは1959年のこと。戦後復興に向けて経済が大きく前進するなか、日本酒も大量に消費される時代にありながら、すぐに売らないお酒を仕込み、時間をかけて日本酒がどう変化をするのか、熟成という効果がどうお酒に現れるのか、そんな研究が進められました。
ワインやウイスキーにある古ければ古いほど価値が高まるヴィンテージという概念をもとに、数年、数十年後を見通し、その頃にピークを迎える日本酒を造るーーそんな意気込みで、酒米の選定や精米歩合の見極め、仕込みの仕方や搾りの方法、貯蔵スタイルなどを一から編み出しました。

福光屋の熟成蔵に現存する最も古いお酒は1970年醸造。今年で熟成期間52年を迎えます。ただ寝かせるだけではなく、時間をかけることでより美味しくなる可能性を秘めたお酒として半世紀以上の長期熟成が許され、今なお熟成の真っ最中である純米酒です。
ひと目見てなめらかさがわかる液体は、黄金色に輝き、米蜜やドライフルーツを思わせる豊かで複雑な香りと味わい、酸味と甘味、苦味が調和し、上品で印象的な余韻があると、国内外で活躍するソムリエたちは高く評価します。

「数年、数十年後に飲み頃を迎えるかもしれないお酒の仕込みというのは、当時の蔵人にとって、とても厳しい挑戦だったと思います。成功を見届けられないジレンマや確信がもてない状況で、苦労をしながら手探りに近い状態で積み上げてきたお酒が、こうやって実物として蔵に残っています。後進の私たちにとって、これらはとても大きな財産でもあります。記録をみると酒米を変えてみたり、新しい造りを試したりと試行錯誤が手にとるようにわかりますし、その一つひとつがノウハウとなって今現在の造りやヴィンテージブランドの“瑞秀”の醸造に確実に生かされています」と、杜氏の板谷和彦。

長期熟成酒の研究を経て誕生した、ヴィンテージをもつ純米大吟醸の最高峰「瑞秀」。代々の杜氏が仕込んだお酒が存在し、その年のお米や造りの個性が一つずつ異なる表情で残される面白さがあります。

そのお酒にとって、最適な時間を授けるための見極めと技

一方で、搾りたての新酒は最速でお客さまのもとへ、というお酒に時間の力を極力与えない考えもあります。長い時間をかけて磨き上げる味わいとは対極に、搾りたてのフレッシュで鮮烈な風味をいち早く楽しむことも、ゼロに近い時間との関わりが反映されたものです。
福光屋のお酒では、搾りたての季節限定酒がこの部類に当てはまります。搾りたての若々しさや、みずみずしく弾けるような香りや味わいは、搾ってからの時間が短ければ短いほど強く感じられ、それがその季節酒の特長や醍醐味になるからです。

「通常、時間が作用することで、お酒を構成する香りの成分やアミノ酸、糖、酸の組成が変化します。形を変えるだけでなく、まったく別の組成に生まれ変わることもあります。それは例えば、新酒の吟醸香がそのまま熟成香に変化するという単純なことではありません。含まれる成分が複雑に関わり合い、結びついたり離れたり、強まったり弱まったりしながら少しずつ姿を変え、そして完全にストップすることもありません」。

時間をかけた、かけないの結果が、すべてプラスに、理想通り現れるとは限りません。ときには、もう少し寝かせた方が荒々しさを抑えられることも、熟成が過ぎて老ね香(ひねか)が出ることもあります。
「時間による力をどのような強さで、どのようなベクトルで日本酒に向けるか。未だ解明され切れない時間とお酒の関係を、少しずつ理解している途中ともいえます。ですが、長期熟成酒の研究を始めてから63年間で得られた経験、酒蔵としての膨大な知見は大きなアドバンテージですし、さまざまな面での礎になっています」。

日本酒の長期熟成酒という分野を開拓し、情熱をもって研究を牽引したのは先代、12代当主の福光博。「伝統は革新の連続なり」を体現し、日本酒に新しい価値と愉しみを生み出しました。

毎年1年分の恵みを重ね、お酒を静かに育てていく面白さと責任

熟成専用の禄蔵(みどりぐら)では、1970年醸造の最古の純米酒をはじめ、数十年の熟成を経た酒がタンクの中で眠ります。夏の酒蔵では、長期熟成酒のタンクを含め200本のタンクすべてから少量を汲み出して唎酒をする「呑み切り」が行われます。半世紀前のお酒が、時間という恵みをどのように授かって熟成を進めているか、急激な変化がないか、成長のピークを逃していないか、これからの可能性は十分か、などを見極める重要な仕事です。

「造ったお酒の最後の仕上げを時間にまかせる。代々の杜氏の仕事の続きを、今私たちが守っているという強い思いがあります。さらに、私たちが今仕込んだお酒を数十年熟成させる場合、そのお酒を見届けるのはずっと先の後輩になります。お酒を残し、代をつなぎながら確立した技が受け継がれ、維持していくことで新しい技が生まれると考えています」。

7月に行われる「初呑み切り」、8月に行われる「呑み切り」で1年に1度だけ長期熟成酒の唎酒も叶う夏の酒蔵。蔵人にとっては、お酒を通して代々の杜氏の造りや考えに触れる大切な機会でもあります。

お米、水、麹や酵母などの微生物、技術、時間。お酒を構成する要素はいろいろあります。どれもが日本酒を形づくる上で欠かすことができない要素でもあります。ですが、お米や水、微生物は人間が選ぶことができ、技はいかようにでも加減することができる一方、時間だけは早めることも巻き戻すこともできません。お酒だけでなく、造り手にもすべてに平等であり、不可逆である時間。素材としての時間を巧みに生かすことによって生まれる姿、味わいが福光屋のお酒の個性でもあります。