【連載】壽蔵・酒造りのエレメント ―微生物― | こめから.jp | お米のチカラで豊かに、上質に。

酒蔵だより

SAKAGURA

2022.4.25.

【連載】壽蔵・酒造りのエレメント ―微生物―

蒸し上がった酒米に種麹を振りかけた瞬間、酒米は日本酒への道を歩み始めます。ふわりと舞い降りた麹菌の胞子たちは、温かく湿った室の中で呼吸をし、熱を発し、菌糸をたくましくのばして蒸米を米麹へと変えていきます。

お米と水だけでお酒を醸す純米造りの主役は、麹菌や清酒酵母、乳酸菌といった微生物です。目に見えぬ微生物が、米麹として、酒母や醪(もろみ)として健やかに働くことで、特有の香りや旨味、アルコールが授けられます。酒米がお酒になるまでの約40〜70日間、幾兆、幾京個もの微生物が自然の摂理に従ってお酒へ、お酒へと導いていきます。テクノロジーの及ばない壮大な宇宙の中で、福光屋の純米酒は醸されているのです。

酒造りの主役は微生物。人間はそのお世話係という「微生物主義」。

お酒は蔵人や杜氏が造るわけではない。お米と水をもとに、麹菌や酵母といった目に見えない微生物がお酒を造る――これが、福光屋の「微生物主義」という考えです。
人間(蔵人)がお酒を造っていると思い上がる気持ちを諌め、微生物たちの複雑で壮大な自然現象の中でこそ日本酒は生まれるのだ、人間はその自然の摂理のごく一部に関わり、裏方にすぎないという純米蔵のフィロソフィーです。
「福光屋の蔵人に第一に求められるのは、微生物をリスペクトする心です。微生物への畏敬の念を持つことで、麹菌や酵母の形なきを見、声なきを聞くことができると考えています。そういう謙虚な姿勢をもつことで、はじめて酒造技能を高めることができるのではないでしょうか」と、杜氏の板谷和彦。

福光屋の蔵人たちは、日々の仕事に向き合いながら母親のような眼差しを微生物に向けています。米麹が暑がって汗をかいていれば布を剥いで優しくあおぎ、酵母がいよいよ活躍するというときに醪(もろみ)が寒がっていれば、タンクに電球を忍ばせて気持ちよい温度で温めてあげるといった具合です。

健やかな醪の発酵が行われるように、蔵人はタンク内の温度にも細かく心を配ります。「醪の温度がわずかに低いときは、白熱電球を下げて気持ち暖かくしてやります。赤ちゃんのお世話と同じです」。

命をつなぎながら、お酒へお酒へと導いてくれる微生物たち

酒造りに欠かせないのは麹菌と酵母、そして山廃仕込みに関わる硝酸還元菌と乳酸菌です。おおまかにいえば、麹菌は酵素の力でお米のデンプンを糖に変え、酵母はその糖をエネルギー源に発酵を担って香りやアルコールを生み出します。山廃仕込みでは、硝酸還元菌と乳酸菌の力で酵母が健全に働く環境を整えます。

蒸した酒米に黄麹菌の種麹をふりかけ、米麹を仕込む工程を製麹(せいきく)といいます。「一麹、二酛、三造り」のとおり、麹造りはお米が初めて微生物に出会う繊細で重要な工程です。
一言で製麹といっても、吟醸酒を仕込む際には蒸米一粒に麹菌の胞子を計2〜3粒付着させてお米の中心部にまで菌糸をのばした「突き破精麹(つきはぜこうじ)」や、旨味のしっかりした純米酒を仕込むときには麹の菌糸が蒸米全体を包む「総破精麹(そうはぜこうじ)」といったように、目指す酒質や味わいによって細かく造り分けます。
さらに、例えば突き破精麹の場合、そこから枝分かれをして幾通りかの完成形が存在します。

麹菌という微生物を蒸米の上でどう生かし、どう育てていくか。蒸米の温度や水分量、麹室の湿度や温度、蔵人の手入れの仕方や回数を細かく見極める必要があります。蔵人がよい仕事をすれば、麹菌はいい空気を吸って、気持ちよく熱を発しながら働き、糖化だけでなくお酒の旨味やコクを生み出してくれるのです。

福光屋の最高峰の吟醸酒を仕込む際の突き破精麹。目玉のように見えるのが麹菌の胞子が付着し、米の中心部に菌糸をのばした部分。蒸したお米100kgに対して、麹菌の胞子わずか0.1gを蔵人の手で均一に振りかけます。

麹菌がお米のデンプンを糖に変えたところで、お酒へのバトンは酵母へと渡されます。蒸米、米麹、水を合わせた液体のなかで大量に培養される酵母。酒のもと「酒母」(酛)となり、醪のなかでお酒に香りやキャラクターを授けます。

福光屋が使用する酵母には、日本醸造協会が頒布する協会酵母の他に、福光屋が独自に培養・分離した自社酵母があります。独自の味わいづくりに、自社酵母の開発が不可欠であると早くから研究に取り組んだ福光屋は、蔵内に酵母バンクを設け、−85度の超低温冷凍庫に最大300種、使用に適した150種を常時保有しています。

清酒酵母の的確な分離、純粋培養、保管には細心の注意が必要になるだけでなく、有効活用するには化学、生物学、醸造学、統計学を元にした裏付けや分析も大切になります。

令和3酒造年度で最も活躍した701F酵母は、協会酵母から自社分離した酵母で701A〜701Hまでの8つもの符合があります。
これらの酵母一つひとつに際立つ個性があり、りんごのような爽やかな香りを出すもの、花のような香りを出すもの、酸を強く出すもの、アルコールをたくさん生成するものと千差万別。だからこそ、それぞれのお酒の個性に最も相応しい酵母を選ぶのは、杜氏の重要な仕事になるわけです。

 

独自の微生物が未来を担う、酒蔵のオリジナリティに

福光屋が今、新たに取り組むのは自社酵母や山廃酛のための自社乳酸菌の採取・同定・単独培養の研究です。受け継いだ伝統技術を守るだけではなく、最新の化学や分析を融合させながら、酒造りをいかに進化させるかが目的。大学の研究機関の協力を仰ぎ、独自の微生物を確立し、安定的に活用できるノウハウを築いています。
「新自然主義と名付け、我々が今造りたい唯一無二の香りや味わい、成分を追求して福光屋のオリジナリティを高めるには、微生物のレベルから新しい視点を加えていくことが必要です。自社酵母、蔵付き乳酸菌は、蔵の空気や金沢の気候に合うことはもちろん、仕込み水・百年水との相性が抜群によいことも強みです」。

酵母の分離・培養は地道な作業です。酵母のコロニーを培養し、一番大きく繁殖力の高い一粒を取り出してさらに培養。この酵母を使って少量の仕込みを行い、アルコールの生成能力などを確かめていきます。

一般的な醪1mlのなかには、およそ1億個の酵母が存在します。タンク1本に換算すると700兆個。大小さまざまな泡をつくり、大きくうねり、ときにさざ波のような音を出します。その様子は生命の胎動のようであり、自然のエネルギーが凝縮したマグマのようでもあります。

極端にいえば、日本酒は微生物の営みの結果です。福光屋が創業から397年をかけて追求する酒造りは、とどのつまり、微生物の力をいかに授かり、どのように生かすかーー。果てしない挑戦の道半ばでもあるのです。

タンクのなかの醪は、エネルギーに満ちたマグマのように見えることも、穏やかな大海原や満点の星空に見えることもあります。壮大な自然現象の一片を見せてくれるようです。