【連載】壽蔵・酒造りのエレメント ―人― | こめから.jp | お米のチカラで豊かに、上質に。

酒蔵だより

SAKAGURA

2022.8.25.

【連載】壽蔵・酒造りのエレメント ―人―

どれほど見事な酒米や仕込み水、麹や酵母を揃えても美味しい日本酒が生まれるわけではありません。自然界の偶発に人が能動的に関わってこそ、現代の酒が生まれるのです。 福光屋の醸造姿勢は、酒造りの主役は微生物であるとする「微生物主義」。その微生物たちがのびのびと本来の力を充分に発揮できるか否かは、裏方である蔵人に懸かっていま す。お米や水、時間といった、酒造りにとってはどれも欠かすことのできない歯車をつなぎ、理想的に動かし、大きな力にしていくのが酒造りにおける蔵人の使命です。 そして大切なことは、蔵人は日本酒という液体のために存在するのではなく、 美味しいお酒で人を豊かに幸せにするーー飲み手の喜びのために在るということです。

厳密には、製麹に分析値は存在しません。その日の麹の温度や室の湿度などを元に、見極めは蔵人の五感によって行われます。作業を担う道具としての手、判断を担うセンサーとしての手の働きが必要不可欠になる瞬間でもあります。

裏方としての蔵人が存在するからこそ、美味しい日本酒が生まれる。

世界の多くの酒の起源がそうであったように、日本酒の始まりも濡れた米に空気中のカビ(麹菌)が付着して誕生したといった具合に、偶然が重なって生まれた自然酒でした。長い間、偶発的な自然現象を経験的になぞった酒造りが行われ、科学の根拠に基づく酒造りが広がったのは明治以降。現代は麹や酵母の解明や培養がすすみ、作業の機械への置き換えや、数字を元にしたさまざまな評価軸も加わり、酒造りの姿が大きく変わりつつあります。

醸造蔵・壽蔵を率いる杜氏の板谷和彦は、“偶然の産物”ではなく、現代の日本酒(多様な味わいを生み出し、再現性があり、衛生的であり、質量ともに安定的に醸造できる酒)を造るには、高度な技術と鋭い感性をもつ人間の能動的な関わりが不可欠であるといいます。

「私たちの酒造りの主役は、麹や酵母といった微生物です。人間は微生物のサポート役であり完全な裏方と位置づけた福光屋の理念です。ですが、微生物がのびのびと本来の力を発揮できる場をつくり、最もよい状態でそれぞれを引き合わせるのは私たち人間が行っています。麹をどのように育てるか、数ある酵母の中からどんな酵母を選ぶかといった部分にも人間が深く関わりますし、美味しい瞬間に搾ることや、そもそも兵庫県や長野県のお米を選んで金沢で酒造りをすることも、人の関与がなくては成り立たないことです」。

福光屋は味わいのオリジナリティを確立するため、自社酵母の開発にいち早く取り組んだ酒蔵です。酵母の分離、培養、選別は酒造りに最も能動的に人が関わる工程といえます。

データや機械を超える、蔵人の豊かで繊細な感性がお酒の味わいに。

さらに、現代の酒造りとしてテクノロジーを駆使し、機械の効率に頼ることは壽蔵も例外ではありません。ですが、すべてを科学と機械で完結させることは不可能で、要所は必ず蔵人の手仕事と判断がなければ成し得ないのが福光屋の考えです。

「醸造工程に無限に存在する、“ここぞ”という瞬間の見極めや判断は、最終的には人間の五感が根拠になります。数値やデータを参考にはしますが、目で見て香りを確かめ、音を聞き、触れて、味わう。小さな差異を敏感に正しく捉え、熟慮し、最善を選び抜くプロセスは、やはり蔵人に依るところです。五感というセンサーを蔵人一人ひとりがしっかりもつことで、人間が酒造りに関わることの意義が生まれてきます」。

また、例えば製麹では麹の状態を「派手目にする、おとなし目にする、枯れない程度に、花を咲かせる」などの情緒的な表現が使われます。日本人的な微妙な官能を正しく理解し、頭に思い描き、共通の認識を持ち合わせることも、チームで仕事をする蔵人の感度に委ねられる部分なのです。

目に見えぬ酵母を純粋かつ大量に育てる酒母造り。不要な微生物をコントロールしながら酒造りの主役になる微生物を健やかに育てていきます。生まれたての赤ちゃんのお世話に通じる細かな温度管理や状況の見極めを蔵人が担います。

酒のためではなく、人を喜ばせるために蔵人は存在するという考え。

酒造りのために切磋琢磨し、つねに一人前の職人になることを目指している蔵人の1人である杜氏の板谷は、蔵人の存在意義をこのように語ります。

「麹や酵母が心地よく本来の力を発揮できるように、それらの主役のために日々仕事をしていることは確かですが、私たち蔵人の仕事は微生物を喜ばせることが最終目標ではありません。もちろん、日本酒という液体のためだけに存在しているわけでもありません。我々のお酒を飲んでくださる方々の喜びや幸せ、新しい経験のために存在していると考えています」。

職業的な技術習得はもちろん必要ですが、それ以前に蔵人それぞれの人生が豊かで、充実していることも大切だといいます。“豊かな人生の中に酒造りがある”と思えるほど、趣味や暮らし、自然の中で思う存分に五感を磨き、感性を刺激し、飲み手の立場でお酒や料理を味わいさまざまな実体験を重ねる。人としての豊富な経験が洞察力や忍耐力をも磨き、よりよい酒造りにつながるという考えです。

さまざまな趣味、特技をもつ個性豊かな蔵人たち。「酒蔵の外で得た経験が仕事のヒントになることはとても多いのです」という杜氏の板谷(前列中央)は、フライフィッシングとカメラが趣味。

人の技、叡智、情熱という大きな力の積み重ねがもたらすもの。

酒造りの究極の根源は、お米と水、微生物による自然現象です。そこに能動的な人の関わりが加わることで、日本酒としての美味しさや個性が生まれることは先に述べた通りです。この人の関わりを、別の言葉で表すとすれば“技”です。

高度な醸造の技は、日々の酒造りで磨かれ若手蔵人へと受け継がれていきます。その積み重ねが伝統となるのです。酒造りの伝統は、お米や水、微生物が受け継ぐものではありません。すぐれた味わいの創造を目指し、向上し、感性を磨く蔵人にこそ受け継がれていくものです。

酒造りは大きな自然現象の中に存在し、自然界の摂理によって成り立ちます。事故なく、前年以上の味わいを創造するために、蔵人は人智を尽くし天命を酒造りの神様に委ねます。

令和4酒造年度の初洗米、甑立てを目前に控える壽蔵。日本酒をとりまく状況が急速に変化する時代において、今求められる日本酒の味わいを生み出す一方で、“福光屋らしさ”の再構築に挑む一年が始まろうとしています。

事故なく酒造りが行えるように、昨年を上回る納得できる仕上がりが得られるように人智を尽くす蔵人の397年目の酒造りがスタートします。

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