福光屋ミュージアム

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昭和:沿革
十一代目松太郎夫婦に子がなかったため、妹の嫁ぎ先である滋賀県彦根の広野家より養子として迎えたのが十二代目・博である。金沢四高を卒業した後、京都大学農学部で学び、22歳で福光屋の跡を継いだ。彼もまた福光屋を大きく躍進させた歴代の一人である。戦後の高度経済成長の流れにのり、マーケティングという概念で老舗の造り酒屋を経営した。新しい商品を開発し、地元におけるメディア広告を開始した。社屋と酒蔵を新築、黒帯を生み、長期熟成酒にも取り組んだ。また吉田健一をはじめとする各界の重鎮をもてなし、金沢の文化と酒を広く知らしめた。彼はまた、ややもすると時代に遅れがちだった日本酒業界全体にも大きく貢献した。それら数々の新たな挑戦において、一貫していたのが品質主義だった。現在はその主義を長男である福光松太郎が引き継ぎ、十三代目の歴史を受け継いでいる。
1927年 昭和2
造石数2,911石
金融恐慌がおこる。
1929年 昭和4
世界大恐慌がおこる。
1930年 昭和5
金沢放送局がラジオ放送を開始する。
1931年 昭和6
満州事変勃発、一五年戦争が始まる。
1937年 昭和 12
造石数4,288石
清酒等生産販売統制実施。
1938年 昭和13
造石数3,839石
このころ、酒造権を多く購入、基本石数を大幅に伸ばし、福光屋発展の基礎を確立する。
基本石数が設定される。酒類販売免許制実施。
1939年 昭和14
造石数2,851石
価格等統制令公布。
1940年 昭和15
酒造用原料米が国家統制となる。清酒価格に上・中・並等三種できる。
1941年 昭和16
太平洋戦争に突入する。
1942年 昭和17
瓶工場を拡張し、設備を新設する。
松太郎夫妻に子がないため、甥の広野博、第四高等学校在学中に福光家の養子となる。四校で森健一と出会う。四校卒業後、京都大学入学。そのころ、伏見で田中桂蔵氏に師事し、清酒醸造技術を研鑽する。
販売業者の企業整備が始まる。
1943年 昭和18
製造業者の企業整備が始まる。級別が設定される。
1945年 昭和20
敗戦。
1946年 昭和21
松太郎、病床につく。博、家業に携わる。
物価統制令公布。ヤミ酒が横行する。
1947年 昭和22
4月・栄婦人につづいて松太郎も死去する。
博、福光屋十二代目当主となる。9月、京都大学卒業。
清酒生産、戦後・戦前最低となる。12万KL
1948年 昭和23
森健一、福光屋入社を決め、白鶴酒造東京支店で販売を研鑽する。
酒類配給公団が発足し、流通に規制ができる。1949年まで
1949年 昭和24
1月・「株式会社福光屋」設立。資本金500万円。
社長・福光博、専務・沼崎藤次郎、常務・上野喜久治。伏見の「堀野商店」より井上治之杜氏を招聘し、さらに森健一も入社。新体制で出発する。依然として品質格差がある都酒灘・伏見の酒に劣らぬ酒、本物の酒を造ることを希求した。
新式瓶詰機を導入、殺菌を厳重にする。
特級酒の制定。金沢大学開学。
1950年 昭和25
十三代目福光松太郎出生。
朝鮮戦争。第四高等学校閉学。
1951年 昭和26
金沢の造り酒屋ではじめて、小売店頭用のポスターをつくる。曰く「よい心持よき福正宗入荷しました」
1952年 昭和27
JOMR局開局と同時にスポンサーとなり、公開番組「ほろ酔いクイズ」を提供する。
金沢乾物現カナカン株式会社に酒類部ができ、酒の取引が始まる。
富山「三酉会」との取引が始まる。このころより、金沢市内の小売店とも取引が行われるようになる。「良い酒は即、良く売れる」ということで、現金決済・無配達をつづける。1965年ころまで
配給酒全廃。
ラジオ民放JOMR局が開局する。
1953年 昭和28
11月・本社寿蔵を新築する。
東京の特約店・辻幸との取引が始まる。
NHKがテレビ放送を開始する。
内灘基地反対闘争。
1954年 昭和29
北野政一、寿蔵杜氏に就任する。
富山の島谷酒販・黒田清商店との取引が始まる。
1955年 昭和30
第一回増資、資本金1,000万円となる。
旅館・飲食店の開拓を積極的に行う。
1957年 昭和32
富山の岡野商店との取引が始まる。
「舌鼓ところどころ」『文藝春秋』の取材で吉田健一氏が来社、以後、毎年金沢を訪れる。
1958年 昭和33
都酒の高イメージを付加するため、京都伏見区深草に、伏見蔵および伏見支店を新設する。
1959年 昭和34
販売石数1万石を突破する。小売店との取引が急増する。
計量単位がメートル法に改められる。「石当たり」→「KL当たり」
特別価格酒低度数酒が設定される。
1960年 昭和35
兵庫県多可郡中町現多可郡多可町中区と「山田錦」の契約栽培を始める。
このころ、初めてのPR映画ナレーション若山弦蔵を制作する。
物価統制令撤廃。酒類公定価格が20年ぶりに廃止、基準価格に移行される。
準一級が設定される。1962年廃止
1961年 昭和36
11月・本社禄蔵貯蔵庫を新設する。
テレビ民放JOMR-TV開局と同時にスポンサーとなり「ほろ酔い劇場」を提供、コマーシャル・ソングをつくる。以後、積極的にマス・メディアを利用した広告を展開する。
上級酒化が始まる。大手の地方参入が進む。
1962年 昭和37
横山隆一氏の人気漫画の主人公「フクちゃん」をアドキャラクターとして採用。
1963年 昭和38
第二回増資、資本金3,000万円となる。
テレビCMソングでフクちゃんキャンペーン開始。第一弾として、フクちゃん指人形キャンペーンを実施する。以後、フクちゃんは爆発的な人気を博し、福光屋のシンボルとして永く愛されていく。
料飲店の親睦会「百福会」を結成。~1984年
三八豪雪
清酒製造業が中小企業近代化促進法の業種に指定される。
1964年 昭和39
11月・金沢市西泉町に西泉蔵置場を新設する。
12月・中小企業近代化促進法により、本社寿蔵を現在の規模に拡張する。
販売石数2万石突破。
富山の昭和酒販現くみあい酒販との取引が始まる。
フクちゃん金メダル・キャンペーンを展開する。
このころ横山隆一氏を中心に「フクちゃんクラブ」ができる。
基準販売価格廃止。
東京オリンピックが開催され、テレビのカラー化が進む。国鉄能登線が全線開通。
1965年 昭和40
大手企業の地方進出、地元の販売競争激化に対応するため、営業部に企画室設置、富山事務所新設など、販売強化の戦略を展開する。
森健一、専務取締役に就任。
1966年 昭和41
10月・矢田酒造店と企業合同により吸収合併、資本金3,100万円となる。
フクちゃんクラブ、金沢での第一回会合をひらき、これが新聞記事として紹介される。
百万石祭商工パレードで1位に入賞する。
1967年 昭和42
増田晴吉、伏見蔵の杜氏に就任する。
PR映画NO2ナレーション宮田輝を制作し、金沢のPRのため、金沢市に寄贈する。
フクちゃんクラブ、第二回目の金沢会合をひらく。
金沢の市内電車が廃止される。
1968年 昭和43
3月・瓶詰工場を新築する。企業合理化第一期工事
12月・本社社屋、製品倉庫、貯蔵庫を新築する。企業合理化第二期工事
「福正宗」の書体を髭文字から町春草書に替える。現在使用
「フクカップ」発売ネーミング募集キャンペーンを展開する。賞金として10万円が贈られるというもの。
フクちゃんクラブ、第三回目の金沢会合をひらく。
2月・高松宮殿下ご来臨の栄をたまわる。
1969年 昭和44
富山営業所を新設する。
本社社屋・工場完成を記念して、のべ2,200人を招いた招待会を催す。
1971年 昭和46
札幌オリンピック・キャンペーンを展開する。
1972年 昭和47
販売石数3万石突破。
「株式会社福サービス」設立、東京で料飲実験店「源氏」「味路」の経営に乗り出す。~1978年
1973年 昭和48
10月・本社社屋増築竣工、8階建てとなる。企業近代化のための一連の設備投資がほぼ完成する。
松太郎、慶應義塾大学卒業、国分株式会社に入社する。国税庁醸造試験所・慶應ビジネススクールに学び、1977年、福光屋に入社する。
オイル・ショックによって高度成長時代が終わる。
1974年 昭和49
富山の日本海酒販岡野商店と黒田清商店が合併との取引が始まる。
1975年 昭和50
福正宗の肴コンクールを実施し、一般消費者参加の広告を展開する。
地酒ブーム始まる。
1976年 昭和51
「黒帯」を発売。
1977年 昭和52
ユニークな広告「黒帯連盟に参加しませんか」を展開する。
10月1日が「日本酒の日」に、10月が「日本酒月間」に制定される。
1978年 昭和53
松太郎、取締役経営本部長に就任、新しい広告展開、新商品開発を積極的に行う。
酒蔵を一般に解放する。
1981年 昭和56
PR映画NO3「酒の詩」ナレーション広川太一郎を制作する。
消費者プレゼント実施。
1984年 昭和59
販売石数36,000石に達し、北陸・東海・中部地方のNo.1の地位を揺るぎないものにする。全国ランキング28位。
本格米焼酎の醸造を開始する。
1985年 昭和60
3月・全商品を糖類無添加にする。生産高万石単位の酒蔵で全国初。
6月・十三代目福光松太郎、社長に就任、常務に梁井宏を配し、新体制が発足する。
福光博は会長に、森健一は相談役に就任。
本社社屋改築。
1986年 昭和61
3月・全商品を本醸造規格以上の品質にし(生産高万石単位の酒蔵では唯一)、「蔵出し本醸造」を明記した証紙に変更する。
金沢大学理学部が水質調査を実施。仕込み水が霊峰白山の麓に一世紀前に降った雨と判明する。
1987年 昭和62
11月・「鏡花」発売。
1988年 昭和63
9月・福光屋のCIを導入。コーポレートマークも松永真氏による斬新なものに一新する。このマークは「福正宗」のラベルデザインとしても採用。
9月・「福正宗」の味・ラベルデザインを一新し、当時の団塊の世代(30代~40代)や若い層に飲みやすい味造りを目指す。
9月・大規模な新福正宗キャンペーン「味わい新時代 福正宗」を実施。イベント参加や酒販店店頭試飲会をはじめ、アドランナー(看板車)やアップルボード(ポスターを掲載したミニバイク)の走行、飛行船を飛ばすなど、趣向を凝らしたキャンペーン企画を実施。アップルボードにはPRを務める「サラッとガール」が乗車。
9月・福正宗キャンペーンの一環として、海老市染之助・染太郎による公演を主催。
12月・女性のみを対象としたレディース酒蔵塾を開催。
兵庫県出石郡出石町現豊岡市出石町と「フクノハナ」の契約栽培をはじめる。
長野県下高井郡木島平村と「金紋錦」の契約栽培をはじめる。